るものであって、この点で、彼は直接に祭司や教師の階級と衝突した。然し彼に云わすれば、信仰深き者にとっては口から入るものは凡て潔められるが、信仰浅き者の口から出るものこそ人を汚すのである。茲に於て彼は、律令や誡命などの解釈を飛び越えて、じかに神の許へ行った。彼に見らるる新らしさとか革新さとかいうものは、律令や誡命などの夥しい旧解釈を乗り越して、じかに神の許へ赴いたことにある。
この新旧についてのイメージこそ、私が茲に提出したいものである。私はキリストのことを取上げたのではない。キリスト教の神のことを取上げたのでもない。夥しい旧解釈を乗り越えて神へじかに復帰することから来る新らしさを、答えとして持出したのである。
文化の理念に於て、斯かる新旧のことを私は考えるのである。復帰すべき神性を持たない文化こそは憐れである。そこに萠す新らしいものは、旧なるものを打倒しなければならないと共に、それ自身はまだ根柢浅く、充分の成育はなかなか見通しがつき難いであろう。その上、斯かる新らしさは明日は直ちに旧さとなるやも知れない。天が下に新らしきもの無し、とは私は敢て云うまい。然しこの苛酷な言葉は掘り下げて
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