。それは一般に嫌悪軽蔑されてる人々で取税人、犯罪人、謀叛人、遊女、癩者、乞食などであって、普通の人交りは出来なかった。
そうしたところへ、ナザレの大工ヨセフの子シュアが、救世主として立現われたのである。彼はおもに貧しい人々に話しかけた。不浄とされてる人々にも話しかけた。そして彼が説くところはすべて新らしい意味合を持ち、その行為も新味を持っていた。彼が好んで貧しい人々や所謂不浄な人々へ接近したのは、彼等がその悩みや悔恨の深さによって神へ近づいてることを示すためであった。憤怒と懲罰の面を主として見せていたエホバの神は、彼によって、慈愛憐愍の面を示してきた。救世主による民族救済から世界への君臨の夢想は、この救世主のため、人間苦の象徴たる「人の子」の運命の確立によって、人間救済から人類への君臨の思念と変ってきた。
彼は幾度も繰返して云った、古き衣に新らしき補布をあてる者があろうかと、また、新らしき酒を古き革袋に入れる者があろうかと、これらの言葉はただ譬えなのである。然し、彼が貧しい人々や所謂不浄な人々と共に食卓に就いて、手を洗わずにパンを割いて食べたことは、食事の前に手を洗うという律令を破
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