が齢尽きて此世を去り、遺骸は珠丘の上に葬られた時、後に残った二人の妃は、その丘上に相擁して三昼夜ほど泣き続け、涙が尽きると次いで血が流れた。その血が竹にそそいで斑痕をなし、今もなお名物の斑竹となって残っている。
 二人の妃はそれから、湘江のほとりで帝が生前愛玩していた五絃の琴を取出し、悲怨の歌を弾じて、泣きながら湖水のなかに身を投じ、帝の後を追って果てた。
 その時の悲怨の歌――

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一片白雲青山内
一片白雲青山外
青山内外有白雲
白雲飛去青山在
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 これは、既に悲怨の域を越えて、悠久の自然の懐の中に於ける高い諦観に達してるものであり、無限の慈味がある。
 私はこの歌の深い美しさを愛し、この歌を口ずさみながら囲棋に親しむことに、云い知れぬ楽しみを覚えたのである。舜帝の二人の妃が、碁道を創始したとも或は碁道を仙人から教わったとも云われる堯帝の、娘だったという因縁にもよるのである。
 ところで、北京に遊んで、天壇の圜丘の上に立った時、ふと私の胸中に右の歌が浮んできた。
 圜丘は天壇の主体であって、毎年冬至の未明に、天子斎戒して昊天上帝を祭られ
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