水田に放せば、秋までには五六寸になる。それを池の中で冬を越させ、翌年また水田の中に放せば、その年の秋までに、料理に程よい大きさとなる。餌には乾燥蛹をやる。蛹を食って育った養殖鯉も、数週間、清冽な池水の中に泳がせておけば、河中に育ったのと同様の美味になるのである。――この二年目の鯉が放たれてる水田は実に賑かで畦道を伝って歩けば、魚群の泳ぎ逃げる水音が津浪のように聞える。
 水田の中に群れてるこの鯉が、大雨の為などで、水口の梁が破けたり畦が壊れたりすると、川の中に多く逃げ出すことがある。鯉をめあての釣師がくさるのは、そういう鯉に出逢う時である。水田で蛹を与えられてのんびり育った鯉ゆえ、前後の弁えもなく餌に食いつき鉤にかかる。そういうのを釣りあげるのは釣師の恥としてある。彼は舌打ちしてもう釣りをやめる。水田から出て来た鯉が河中の生活に馴れ、相当狡猾になるまでは、その辺で釣りをすることをひかえるのである。釣りの楽しみは単に獲物を得るだけの楽しみではないと、真の釣師は云う。

      K

 呉清源の随筆集「莫愁」はたのしい書であるが、その中に、私が愛誦する歌が紹介されている。
 古昔、舜帝
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