義理人情や仁義などから、善悪の悟性に至るまで、そこには或る地理的境界というものが考えられる。これは所有権の問題とは全く別物で、公地公道に於てのことである。人の道徳には一種の精神的地理がある。教護院の所謂不良少年少女も、この精神的地理を知っており、もし彼等が憂鬱であるとすれば、その故にこそ憂鬱なのであろう。
I
大勢の人々が集まってる場所に於て、人間を弁別する特殊な眼が働くというのは、面白いことである。互に見ず識らずの人の偶然の集まりであり、互の声音の響きさえ知らない人々の集まりでありながら、その中の個々の人物について、年齢、職業、身分、人柄など、大凡のことを一目で見て取るような、そういう眼が存在する。その眼に逢っては、全然得態の知れないような人間は非常に少い。
かかる眼を、大抵の者は持っている。保安警察の事務にたずさわる者、政治や実業や商業に関係してる者、其他挙げれば殆んどあらゆる者となるだろう。芸妓や料理屋の女中や、カフェーや酒場の主婦などは固より、普通の女や少年までがそうだろう。――こんな下らないことを一々挙げたのは、そういう人達がまた、この眼の対象になり易いか
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