がなされてるのであった。その最も大きな一例は学院の構えである。
この教護院は、赤土砂礫の松山の中腹から裾地へかけて、四万坪あまりの敷地を占めている。街道に面して正門が一つ、ぽつりと建っていて、そこには門番は固より居らず、門扉は昼夜開け放しで、ただ門柱を二本立てたに等しい。それだけで、学院には敷地をめぐらす柵さえもない。平地の方面では、学院内の地所と他の地所とが、耕地の畦で区別されてるだけであり、小路は平らに通じており、山手の方面では、地所の境界さえ定かでない。全く四方八方開放されてるのである。
こうした学院の中で、世間では不良だと言われてる二百名余りの少年少女が、勉強し労働しまた遊びまわってるのである。外部からは学院内の各家庭に訪客や商人などが自由にはいって来るし、深夜迷い込んでくる怪しい男までないではない。然し院生等は、時折の登山や遠足などに連れ出される外、無断外出は一歩たりとも厳禁されている。
こうした状態に於て、たとえ厳禁されてるとはいえ、また教師保姆の不断の警告があるとはいえ、所謂不良少年少女の二百余名のうちに、無断外出がないとすれば驚異であろう。そして実際、無断外出は屡
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