で四十日ばかり暮した。そこの少年少女たちの生活に親しむのが主旨であったが、後には、昔そこにいた少年少女たちの生活記録の補綴が主な仕事となった。ところで、親しく談話を交えたり、真裸で河水のなかで共に遊んだり、其他いろいろ、日常生活に於て得た実際の印象と、それから記録を調べて得た知識と、その両者がへんに喰い違って、初めのうち両者どちらにも余り信用がおけない気持になったものである。
 このことは、多くの場合に、経験されるところだろう。実際の印象と記録による知識との喰い違いは、よくあることである。だからといって、両者を否定してかかれば何にも得られないことになる。悩みは、両者を如何に案配統一するかに在る。これに比ぶれば、文学の世界の純一性が貴く思われる。文学の世界に於ては、実際的印象と調査的知識とは、創作上の感性によって初めから統一的に運用される。
 だが、この問題についての饒舌は止めよう。実は他のことを云うつもりだったのである。
 少年教護院というのは、昔の少年感化院である。感化院といえば誰にでも或る観念が浮ぶだろう。然るに私がはいっていた大阪の教護院は、一般の感化院的観念とは、凡そ異った施設
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