うなお爺さんの乞食……という思いがとっさに胸にきて、他に見てる人もないところから、その思いが更に深く、また或る物優しい心境にも在ったので、何の気もなく懐中をさぐって貨幣を一枚、お爺さんに与えた。
 お爺さんは、貨幣を押戴いて受取ったが、じっと彼女の顔を眺め、それから、通りすぎようとする彼女のそばへ、追いすがるように寄って来て、掌を見せて下さいと云うのだった。
 彼女はちょっと不気味な気持がしながら、左手を差出すと、右手の方をと先方は云う。そこで、右手の掌を差出すと、お爺さんはそれをじっと眺め、小首をかしげて更に眺めてから、よいものを見せて頂いた、と云うのである。
 何のことですかと尋ねると、お爺さんは彼女の手には触れず、指先で彼女の掌を指して、ここのところとここのところが……とて、親指の根本と小指の根本との掌のふくらみについて、実によい相をなしている、今月はちょっと塞りでいけないが、来月から実によい福運にあなたは向います……。
 ありがとうございました、と彼女はお礼を云って、そのままお爺さんに別れてしまったが……。
 そのお爺さんの姿が、いつしかすっと神社の境内に消えてしまった、となるとこれは少しく神仙談めいてくるし、また、その乞食のお爺さんが実は稀代の名手相見だったとなると、これは少しく巷の美談めいてくるし、また、翌月から彼女に大変な福運が見舞ってきたとなると、これは少しく迷信談めいてくる。が然し、それらのことをぬきにして、単に、一片の貨幣に対する礼心からの手相見であったとしても、この話、人の世に一脈の温みを齎すものたることを妨げない。

      M

 吾々東洋の知性は、新旧の対立をはっきり感じている。そしてこの新と旧とについて、新たな検討探求に発足することを要求されている。
 このことについて私は或る一つのイメージを得た。書物に依ってである。――ショーレム・アッシュの大作「ナザレ人」という小説の日本語完飜が、「永遠の人」と題して発行されているのを、私は読み耽ったのである。この小説は云うまでもなく、キリスト伝としては最も注目すべき作品であるが、私は茲にその批評をする意志はない。ただ、この作品から得た上述のイメージを書き誌すだけに止める。
 キリストが出た当時のユダヤ民族、それは四方を多神教の異教徒等にとりまかれた唯一の一神教徒だった。すぐ近くのシドンやツロの
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