によって、全軍の意気は俄に揚った。イブン・サウドの手兵は元より各地からの部落兵等も、感嘆し、喝采し、勇躍した。まさしくイブン・サウドこそは男の中の男である。陽物を失って男でなくなったとは嘘である。それのみならず、重傷を負いながらも恋人の務めを立派に果すことの出来る超人だ。そうした賞讃の念は信頼の念となり、この驚嘆すべき男、吾等の指揮者のためには、命を捨てても惜しくなく、砂漠の果までも従って行き、如何なる敵とも戦おうと、全軍は勇み立った。
 斯くて、イブン・サウドの素晴しい芝居はみごとに効を奏したのだった。――(以上、アアムストロング著、古沢安次郎訳、「イブン・サウド」に拠る。)
 この素晴しい芝居の時、イブン・サウドは固より独身ではなかった。遠い居城には愛妻ジオハラがいた。彼が真に愛した女はジオハラ一人だろうと云われている。然し彼はその生涯中、多くの女と結婚した。但し同時に四人以上の妻を持ったことはなかった。彼は敬虔な回教信者で、予言者の定めた戒律を厳重に守ったのである。モハメッドは次のように規定している。
「汝は二人、三人、或いは四人の妻を娶るも差支なし。されどそれより多くは娶るべからず。」
 イブン・サウドは大抵三人の妻を養い、四人目は空席にしておくことが多かった。このことだけでも、アラビアの王室に於ては道徳的と云われるだろう。そしてこのために、イブン・サウドは何等戒律にそむくことなしに素晴しい芝居が打てたのである。
 私は先般、上海の租界裏町で、数名の人々と回教料理を味いながら、老酒の酔がまわるにつれて、イブン・サウドのことを思い出したのである。
 回教料理は面白い。初めに幾種類かの前菜が出て、それからいよいよ羊の肉となる。食卓の中央に焜炉が据えられ、焜炉の上の鍋には、真中に小さな煙筒がつきぬけていて、下の火力が衰えないようにされている。羊の肉は薄く切って、径十五センチぐらいの平皿に河豚の刺肉のように並べてある。それを一切ずつ箸でとって、ぐらぐら沸立ってる鍋の湯に浸し、各自の好みに合う程度に自ら煮て、したじにつけて食べる。そのしたじの薬味が大変で、各種の醤油や酢や味噌や葱や香料など、十種類から十五種類に及ぶものを、これまた各自の好みに応じて自ら調合するのである。
 羊肉の皿は次々と運ばれてくる。沢山食べるほど豪いとされている。空皿を自分の前にうず高く積上げるの
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