のどちらかにちがいない以上、もうどちらでも同じことだと思った瞬間、不意に、ぎらりと輝いて現れた自動車のヘッドライトを抱きかかえてじっと身をかがめたまま動かずにいる自分に気がついた。
 ああ、もう死ぬところだった、そう彼は思って自動車から身を起すと、それではいっそのこともう死んでしまったものとあきらめようと思って、家に帰って来た。
[#ここで字下げ終わり]

 これだけである。勿論これには、前後の叙述の重力が加わってはいるけれど、その描写はこれだけである。それがどうして妙に忘れられないのか。特異な事柄のせいであろうか。それもある。が何よりも、ここでは、その特異な事柄が、文学の過剰から免れているから、じかに読者の胸に迫ってくるのである。
 横光利一氏の近業には、二つの手法が観取される。一つは、人間の心理の探求に当って、心理の動向の一般的方式を求めんとすることである。もう一つは、人間の運命の推移を、多面的に観察して、その多くの面の綜合によって一の立像組立てんとすることである。前者は[#「である。前者は」は底本では「である前者は」]ややもすれば作品を稀薄にする恐れがあり、後者は作品を濃密にする
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