は十人十種であるかも知れない。私の頭には、古賀が自動車の前部に抱きついたところが、一番はっきり残っている。残ってるとは、思い出すことであって、私一個の嗜好か反撥かが加わっているかも知れないが、恐らくあすこを忘れ去る者は少いだろう。
 然るに、そこが、どういう風に書かれているか、煩をいとわず引用してみる。――

[#ここから2字下げ]
 彼は夏子に店をやめろという代りに、ことごとに突っかかっては殴りつけたり蹴飛ばしたり、夜になって寝静まったころになると、突然飛び起きては、暴れ廻って隣り近所の眼を醒したりしたことは度々だった。それが殆んど毎夜のようにつづき出すと、夏子もだんだん度胸が据り、やがて事実は古賀の疑いそのままになって来た。ある夜、古賀はひどく気崩れのあった場からの帰りの途で、料亭から出て来る夏子の後をこっそりつけていくと、暗い横丁に待っていた五十すぎの立派な紳士が夏子と竝んで歩き出すのを見た。古賀は疑いがそんな風に事実と一致している状態を眼のあたりに見ると、くらくらしてくる中でも、今夜これから自分はどうしたら良いだろうかと考えた。しかし、どちらにしたって多分夏子を殺すか男を殺すか
前へ 次へ
全13ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング