ないけれど、然し作家は大抵、先駆者でありまた大愚であって、当面の政策に対する関心よりも、将来への夢を多く孕むものである。斯くて、作家が真剣に実践する文学は、生活の慰安ではなくて生活の推進力となり、比喩的に云えば、生活から咲き出した花ではなくて生活を育てる養液となり、更に云えば、あったこと若しくはあることの表現ではなく、あるべきこと若しくはあり得ることの表現となった――少くともそういう観念となってきた。而もこの中心的な本質的な核をつつむ肉体の生成は、社会的なまた経済的な広い視野と、科学的なきびしいリアリズムの精神とで、なされなければならないというところにまで立至っている。
 こういう文学が、はげしい現実の跳梁と重圧との下に如何に困難であるかは、自明のことであろう。だから前に述べたような事情によって、或は素朴な感動に還るといっても、或は素材の力に頼るといっても、或は現実の認識を深めるといっても、それには大抵「先ず」の一語が冠せられ、その「先ず」からさきの見通しは、模糊として薄暗いのである。作家が文学を実践するに当って、文学という言葉は既に実感としては甚だ空疎な響きしか持たず、それでもやはり
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