をなげかけ、その影の中で、文学は未来に対する進展力を阻まれ、自由主義は食物と空気との摂取を妨げられている。
 そうした影を投じてる本体は何か。それは、逆に辿って、強度の権力的統制であると云えるだろう。然し現在の権力的統制は、注目すべき特殊な相貌を呈しているようである。
      *
 権力的統制は、権力を掌握してる主体が青年期もしくは壮年期にある場合に於いてのみ、力と生命と意義とを持つ。然しその主体が、老衰期にはいり、没落に近づくにつれて、その権力的統制には頑迷な老人に見らるるような、焦慮と剛直とが不思議に混和した一種のファッショ的傾向を帯びる。そしてこういう傾向こそ、凡てのものを陰欝な気分で塗りつぶす。
 五・一五事件は、吾国のファシズムの一つの現れだと云われるが、私はそう思わない。あの事件あって、別種のファッショ的傾向が益々濃厚になったのではないか。また、所謂強力内閣が出現しても、吾国の生命線と云わるる満蒙の地が確保されても、社会的雰囲気は妙に陰欝になるばかりではないか。これは単に、資本主義の行き詰りや軍部の跳梁などだけでは、説明しつくされない。その根本のところは、社会的な経済的
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