昔話が栄えるのである。
 こうした停滞や淀みは、文学の転向期には往々ありがちのものであるが、現在のそれは、更に陰欝なものを思わせる。固より、一方には、作家等の側に於ける無気力もあるかも知れないし、他方には、文学として製造された短篇作品の過剰から来る、文学の魅力の喪失もあるかも知れない。然しそれよりも、他の陰欝なもの、日の光を遮る雲のようなもの、云いかえれば文学全般の曇天を、更に思わせるのである。
 文学の曇天、このことを云う前に、これを分りやすくするために、この頃新たに自由主義ということが唱えだされた所以を考えてみるのも、無駄ではあるまい。
      *
 自由主義は、云うまでもなく、一の態度であり、一の心構えであって、政策ではない。それゆえ一定の実践的方面への推進力は持たない。
 それは、個人の人格を尊重し主張する。思想の自由を主張し、言論の自由を主張し、時としては行動の自由までも主張する。そしてそれ相当の熱情さえも持っている。然しながら、社会生活に対して、斯くあらねばならないという具体的実践的規範を提出しはしない。
 随って、自由主義の唱導は、何等かの権力的統制の過重を思わする。
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