まりは構想力の成果である。

 小説の面白くないことが、久しく説かれた。面白くないとは、筋の発展の少さを意味したようだし、その原因が構想の不足に帰せられたようだった。然し文学上の構想は、そのように安易に理解されてはならない。
 彫刻家の製作現場を見物する時、吾々は、その鑿の運進に技術以上のものを感ずる。徐々に描き出される線や面は、他の大きなものに統制されて、やがて一つの立像のうちに生き上る。この過程に於て全体を統制するもの、それが芸術的構想である。
 小説創作も、彫刻製作に等しい。書かれる文字の一つ一つは、鑿の運進の一つ一つである。そして人物像が出来上る。このことを理解する者は、例えば、川端康成の作品に構想が乏しいなどとは考えないだろう。そのエロチシズムは別として、またその歌は別として、その人物立像は構想によって打ち立てられたものである。
 人物像の彫り上げには、すべて構想力が基本的に働く。何等かの観念や思想を具象化せんとする際には殊にそれが顕著である。観念や思想を多分に作中に盛りこまんとする横光利一の創作苦心の多分は、恐らくは、構想の線上に在るであろう。その観念や思想の重荷を担い得る
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