斯かる行為が選択されたのは何故であるかとの詮索が、心理解剖の名のもとに作品の主題となったことがある。其他、これらのものすべて、人間性の探求であった。
人間性の探求も結構であろう。だがこの探求は、人間という形態を保ち得る範囲内に限定される。アランが指摘したように、寓話に於て狐が如何に狡猾であろうとも、その狡猾さは畢竟、狐という形態以外には出ない。犬が如何に忠実であろうとも、その忠実さは畢竟、犬という形態以外には発展し得ない。人間性は畢竟、人間という形態によって制約される。
然るに、人の思想や情意は、人間という形態以外にはみ出そうとすることがある。その時にはもう人間としての形態は保ち得られず、現実の生存は続け得られない。スヴィドリガイロフ、ムイシュキン、スタヴローギンなど、一列の系譜の人物は遂に破綻するの外はない。ラフカディオという人物は遂に架空のものとなるの外はない。それらの人物を扱った作品がそのことを実証している。
この種の悲劇は、不可避なものであるだろうか。人間性の探求を無意義なまでに遠い過去へ追いやった現代に、既に、種々の新たな性格が形成しかかっている。これまで見られなかった
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