徴されるこれからの時代は、想像に余る可能性と驚異とを含んでいる。そこに踏みこんで文学は、如何に自らを処置せんとするであろうか。
人間の性格は、形態として理解される。外部の刺戟や内部の衝動によってその人が為すところの、思惟や言行の総和は、その無数の集合によって内部が充実され、一つの形態を取る。この形態が即ち性格なのである。性格によってその人の思惟言行が規制せらるるというのは、逆な見方であって、思惟言行の総和によってその人の性格が決定せらるるというのが、本来である。文学に於ても、斯かる性格だから斯かる思惟言行が為さるるとは演繹せず、斯かる思惟言行が為さるるから斯かる性格だと帰納する。性格描写とはつまり思惟言行の形態叙述である。
如何なる悪人も斯かる場合には善行をなし、如何なる善人も斯かる場合には悪行をなすということが、人間味の名のもとに作品の主題となったことがある。また、如何なる英雄も斯かる場合には凡庸な行為をなし、如何なる凡庸人も斯かる場合には勇壮な行為をなすということが、凡人主義の名のもとに作品の主題となったことがある。また、人はおよそ如何なる行為をも為し得る可能性を持つが、茲に
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