現実の転位の場に在る真実性をである。これはさほど容易いことではない。ジャワから帰った武田麟太郎は、帰来数ヶ月の後にも、記録的なものでもなく宣伝的なものでもないただ一短篇を書くに当って、ずいぶん苦心を重ねたらしい。主題の探索とか作意の確立とか、そういう方面ではなく、恐らくは、彼の内部に於ける高度な芸術的営為の復興についてであったろう。

 ほんとの文学作品がほしい、そういう声がだいぶ以前から聞えた。ほんとのという形容詞がつくことは、多くの作品が文学的でなかった証左ともなる。だが問題は、ほんとの文学作品とは如何なるものを指すかに在る。
 戦時中にも種々の文学賞は存続した。受賞作品の詮衡に於て、一部に日本的文学の伝統が説かれた。この日本的ということについて所説の詳細は分らないが、概略すれば、謙抑な観照、清純な哀感、さびとかしおりとかいう言葉に含まれる情緒的格調、などに於て理解されていたらしい。随筆的とも言えるし、情念の歌いを多分に持つ。そういうのが果して日本的な伝統であるとすれば、今や、吾々は散文芸術に於てそれと別れることを惜しまない。それより生れ出るものは何であるか。嫡子としては恐らく私小
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