へと外らされているかは、作者に問い糺してみるまでもなかろう。かかる場合の構成は、現実の転位の場に於て為される。
戦時中、多くの記録文学が出た。従軍記もあり、戦争体験記もあり、各方面の職場視察記もあり、各職場からの報告記もあった。単に記事ではなく、記録文学と呼ばれるだけの文学的扮飾が施されたものであった。茲に、文学的扮飾というような言葉を使わねばならないのは、遺憾である。それは事実の技巧的な按配を意味する。その安易な創作方法は、高度な芸術的営為によってのみ得られる文学の真実性を取失いがちである。
同時に、多くの作家は戦争指導者の権力に阿った。文学を直接宣伝の具に供せんとする功利的要求が権力者の側にある時、それに阿ねる場合、作品は所謂大衆文学の浅薄なるものに堕ちる。記録文学の浅薄なるものが事実的場面の按配に専念する如く、大衆文学の浅薄なるものは観念的場面の按配に専念する。そこに意図される功利性、実用性は、芸術の真実性を駆逐しがちである。
一般に、個々を問わずただ一般に、右のような風潮が浸潤してるなかから、吾々は出発しなければならない。出発して脱出しなければならない。先ず回復すべきは、
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