のこと、だいぶ遠ざかってきたこの頃のこと、夜中のことや朝のこと、さまざまなことが思い出された。彼女の音声まで耳に響いてきた。彼女はしばしば、なぜと反問してきた。なぜ、だか、なで、だか、丁度その中間のやさしい声音だった。
 彼女の新たな旦那がどういう男だか、私は知らない。私の方から聞こうともしなかったし、彼女の方から話そうともしなかった。私としてもさすがに気持ちのよいことではなかったが、嫉妬の念はあまり起らなかった。
「仕方がないのよ。許してね。でも、これから、あなたにお金の心配をあまりかけないですむわ。二人でぜいたくしましょう。」
 あっさりと、そのようなことを彼女は言った。私は返事をしなかった。その代り、彼女に酒を強いた。
 私は早速、実行にかかった。

 照代の家には、お多賀さんというばあやがいて、家事万端をやっており、その姪にあたる喜久ちゃんという少女もいて、洋裁と和裁との稽古をし、ゆくゆくはその道で立つつもりらしい。
 私は、近くの小料理屋から使いを出し、ひそかにお多賀さんを呼んでもらった。彼女はお湯の道具をかかえてやって来て、酒杯を受けながら、怪訝そうに私を見上げた。
 背は
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