水するかも知れないと思い、ぞっとした。晩秋の夜気が身にしみた。屋台店でまた酒を飲んだ。腹の中に嘔き気がたまってくるようで、惨めな上に嫌な気持ちだ。それでも、私は決行しなければならない。なにかに憑かれてるに違いなかった。和服だから懐手をし、眼を足もとに据え、照代の家の方へ行った。
背の低い数本の青木と八手をかこんだ竹垣から少しひっこんで、閉めきってある戸の間に、白紙の端がのぞいていた。近づいてその白紙を引っ張ったが、取れず、私は指先で軽く戸を叩いた。
門燈の淡い光が流れてる街路には人影もなく、家の中にも物音はなかった。私は戸に肩をもたせかげんにして待った。
「どなた?」
全くだしぬけに、戸の向うからお多賀さんの囁く声がした。
私は返事をせずに、戸を軽く叩いた。戸がゆるゆる開かれ、燈火が私の顔を撫でた。
「遅いですねえ。いらっしゃらないから、もう寝ようかと思ってたところですよ。」
私は返事をしなかった。先刻から、もう口を利くまいと決してるのを、いや、口を利いてはいけないことになったのを、その時感じた。私は唖になったのだ。
のっそり上りこんで、長火鉢の前に坐った。炭火が少しあるの
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