、おそろしく平凡低調な善良さだけがあり、そこに生活的ルンペン性がひそんでいる。
都市の中心から外れた小料理屋やおでん屋に巣喰ってるところの頸白粉の女や板裏草履の男――而もまだ若いそれらの男女は、何によって救われるのであろうか。
L
日本の神社には、大抵、鳩と亀と鯉とがいる。そして大抵、大勢の子供たちがそれらに餌などやって遊んでいる。この風景は、如何なるものよりも微笑ましい。例えば、公園や動植物園やまたは特殊の有料遊園などの、如何なる風景を取ってきても、右のものには及ばないだろう。そしてこれは、日本的なものの一種の象徴の域にまで高まるものを持っているし、支那大陸に相通ずるものを持っている。神社の清いのびやかな境内で、鳩と亀と鯉とに戯れてる朗かな子供たちの写真を、故国を想う出征兵士たちに贈りたいものである。
M
子供――殊に幼児――を連れて外出するということは、次第に少くなりつつある。この現象は列挙すればいくらもある。劇場や映画館で子供の泣声が聞えることは、甚だ稀になったし、子供の姿を見かけることも少くなった。百貨店内でも同様である。電車の中でも、子供
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