が明示するような壮挙によって、飛行機の実効的性能が市民の心に感銘されたからであろうが、然しなおその上に、飛行機というものが、勇敢な行動性を象徴するものとなり、一の思想の域にまで高まったからであろう。即ち、勇敢な行動性の最も具象的なものが、現在では飛行機なのである。
一般市民の、殊にはインテリ階級の、飛行機に対する関心は、だから、一種のスリルと飛躍とを持つ勇敢な行動性への翹望とも見られる。かかる翹望が窒息しない間は、大都市も老朽しないであろう。このことは、戦争の面以外への拡がりを持つ。
E
汽車の内部の光景――殊に、宵に発車する長距離の急行列車で乗客の多いものなどの内部の光景には、考えさせられるものがある。例えば、東京駅を宵の八時か九時頃に発車する神戸行とか下関行とかの、急行列車をとってみるがよい。そして三等車よりも二等車が最もよい。
これらの列車は、いつも乗客がこんでいる。然るに、東京駅で乗りこむが早いか、直ちに二人分の座席を占領して、長々と寝ころび、枕まで持出している者が、随分ある。それ故、品川や横浜あたりで乗車した気の弱い者は、時とすると、座席がなくて長く立たされることがある。寝台車の喫煙室の方に行ってみても、そこはまだ寝ずに語りあってる人々でふさがっているし、食堂も満員だし、彼はまた普通車の方に戻ってきて、室の隅に、或は連れの者の側に、佇むの外はない。而もすぐ近くには、二人分の座席に寝そべっている者が幾人もあるが、身を起して半分の席を譲ろうとする者もなく、通りかかる車掌も、この不公平な有様に無関心らしく、座席の整理などはしてくれない。漸くして、多少親切な人の情けによって、座席を得るのを待つだけである。
二人分の座席に寝そべってる方の人々にも、いろいろ口実はあろう。ひどく疲れてるのに寝台がとれなかったとか、或は自分が起きて席を譲らなくても、誰かがそうしてくれるだろうとか、兎に角、寝そべってるのが自分だけでないというのが口実になるのであろう。
それにしても、立ってる方の人が、なんと温和なことか。彼は別に渋面もしていない。寝てる人を起し、或は車掌に頼んで、一人分の座席の当然の権利を主張することもしない。ただ誰かが自発的に席をあけてくれるのを、気長く待ってるだけである。
朝鮮や満洲や北支などの列車内で、日本人が威張りちらしてるというような話
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