に一般的なものであるか特殊的なものであるか、つまり、如何なる意味で思惟の対象になるか、それを見分けることが甚だ困難なのである。そしてともすると、現象の批評からふみ出して、文化的な或は社会的な批評の方面へ筆が滑りがちになる。――文化時評とか社会時評とかならば、書くべきことは無数にあるであろう。然し風俗時評となると、現実の現象に制限されて、書くべきことが甚だ乏しくなる。
 風俗に関係ありそうな現象で、取上げたいものはいくらもある。例えば、この頃の青年たち、殊に学校卒業間際の学生たち、彼等の会話を聞いていると、日本と満洲と支那とは既に一つの合同地域となっている。その間に何等の境界も存在しない。互に関連をもってるただ一つの広大な職場であり、ただ一つの文化圏内なのである。思想的に、更に感覚的に、無境界な一地域なのである。――そういうところから、如何なる風俗的なものが生れるであろうか。それを考えるのは楽しみである。然しそれはまだ、風俗として取上げるべき何物も持ってはいない。
 風俗のことを考える時、右のような事柄に幾つも出逢う。而も風俗のことを余りに考える時、右のような事柄はいつしか忘れられる。これについて警心の要が多い。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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