夫人の言葉である。
ここでは、ナポレオンのことが問題ではない。ナポレオンについて種々の見解があろう。ただ、彼に関する一二の事柄を機縁に、別な人間像を打立ててみたいのである。
この人間像の、その頭脳の抽出のなかには、斯くして、あらゆる人間が、単に数字として、事物として、納められている。必要に応じて、それらの抽出のどれかが開けられ、中の物が取出されるだろう。即ち誰かが使用されるだろう。事物がその本来の用途にあてられるように、人間もその才能性格によって、それぞれの用途にあてられるだろう。こうした人間使用は、最も無私に冷静に、云わば公平になされるに違いない。この場合、使用者の方面について、利己的とか功利的とかいう言葉は、意味をなさなくなる。そこにあるのはただ、最も有効な使用のみであろう。
このような頭脳が、大きく而も精密に発展してゆく時、それはもはや個人でなくなり、何か一つの社会的な力となるだろう。そこには、或は政治家の或は事業家の或は将帥の或は文学者の、超絶的に偉大なものの模型が見られる。
然しながら、無数の抽出を具えるこのような頭脳、それを喚起しうち眺める時、或は単に瞥見する時にも
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