め上げることが出来る。それ故に、現在の劇場の舞台を予想しないで、現在では読むだけに止まるという戯曲、そういうものは立派に存在し得る。
 存在し得るばかりではなく、それが最も必要である。演劇の根本的な進歩は、そういう戯曲から促進される。
 近代の舞台装置は著しい進歩をしてきた。然しその進歩はどこまでも装置の進歩であって、舞台そのものの進歩は微々たるものである。そして舞台そのものの進歩は、作者が抱懐する舞台のイメージの進歩に依らなければ、なかなか望み難い。否絶対に望み得ないと云ってもよい。劇場の舞台は脚本上演のために装置せられるのだから。
 或る程度以上の舞台は、現在の劇場では装置不可能であるけれども、その不可能を可能となし得る時が来ないとは限らない。たとえ劇場の広さを現今のままにしておいても、装置の方法によっては、現今の舞台と全く異ったものが出来得るであろう。演劇に於ては、異常や不自然をも或る程度まで取容れ得る――芸術的誇張を最も多く取容れ得る。それを利用しないで、在来の舞台にばかりなずんでいるのは、劇作家の怠慢である。
 劇作家は、あくまでも自由に奔放に、舞台のイメージを抱懐するがよい
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング