戯曲的な狙いというのは、それを指すのだと思う。
 随って戯曲の創作はそれだけにまた厄介であり窮屈である。大抵の素材は、小説的には狙い易くても、戯曲的には狙い難い。
 然し私が云いたいのは、そんなことではない。この戯曲的狙いの範囲を拡げるということである。
「読むための戯曲」とか「舞台を予想せざる戯曲」とかいう言葉が以前から存在している。それを正当な位置に引下して考えてみよう。
 右の言葉が、現在の劇場の舞台を対象とするのならば、それは立派に存在し得る。然し絶対的の意味でならば、それは少しも存在の理由がない。
 戯曲は元来何等かの舞台に即してるものである。もし何等の舞台も予想せず単に読むためにのみ書かれた戯曲があるとすれば、それは初めから戯曲ではない。対話か小説か……そんな風なものである。舞台面の説明をしたりト書を加えたりすることは、五号活字の間に六号活字を組み交えるようなことは、凡て不必要なのである。そんなことは、舞台の予想あって後に生れてきた形式である。
 然しながら、作者が頭に写し得る舞台は、現在の劇場の舞台だけとは限らない。現在の劇場が拵え得ない舞台をも、作者は自由に頭の中で纒
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