も、みなその頃のことだった。また嘗て私は、ひとなみに恋をしたこともあった。はっきり自分の意中を打明けることも出来ず、はっきり相手の気持を掴むことも出来ず、ただ胸苦しい悲しい甘い心地に沈み込んで、草原の上に寝転んでは、すいすいと伸び出してる草の芽を無心に掴み取りながら、いつまでもぼんやりしてることがあった。
 そういう時、悪魔的な暗澹たる気持に浸ってる時や、切ない悶えに悩んでる時など、私が兎も角も余り変な方向へ踏み迷わないで、どうにか自分の道を歩み続けてきたのは、母に対する感情からでもあった。
 母を思うと、私は心がしみじみと落付いてきた。何をするのも嫌になり、生きてるのさえ嫌になって、死を決しようとしたり、または狂暴な感情に駆られたりする時、私はよく母のことを思い出した。すると私自身そのものが、取るに足りないちっぽけなものになって、母の温い懐の中に飛び込んでいった。何かこう大きな柔かいもの、自分を生んでくれた母胎、そういうものに静によりかかった気持だった。そしてただ在るがままのちっぽけな自分自身が、しみじみと感じられていとおしくなった。何がどうなろうと構うものか、私はここにこうしている
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