、というその最小限度の存在感、云わば、富貴を願わず栄達を求めず、一介の虫けらに等しい自分自身の存在感、それが胸の底までしみこたえた。自分自身がいとおしく自分の生がいとおしかった。そして私はじっと自分を愛護する気持になって、その気持を母に伝えたくなるのだった。
 それは、母を安心させ落付かせたいのとは違う。母に甘えるのとも違う。生れたままに生きていたい、そういった気持である。お母さん、私はここにこうしています、自分の在るがままの生を愛して生きています、と母に向って――大地に向って、囁きたい気持である。
 然しながら、自分の胸の底を、も一つ奥深く覗いてみると、右のように二つに分けられないものを、父と母と一体をなしてるものを、其処に見出すのである。それのことを思うと私は、何かしら神秘的な涙ぐましい而も力強いものを感ずる。
 平素私はそれを忘れがちである。今では私は、ただ輝かしい健かな世界を求めて自分一人で生きている。然しどうかした拍子にふと父母のことを思うと、自分に生を与えてくれた両親のことを思うと、そしてそれに思い耽っていると、明るくもなく暗くもなく、健全でも不健全でもない、或る隠秘な仄か
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