しく思われる。然し父母にとっては、私よりも更に淋しかったろうと思われる。
 私は兄弟も姉妹もない全くの一人子である。それなのに、田舎の父祖の業を継ぐことをしないで、中学を卒業するとすぐ東京に出で、文学の方面に進み、東京で暮すようになった。そんなことが、何等の障害もなく、全く私一人の意志で、すらすらと運ばれてしまった。然しながら、私を故郷に引止めたい感情を、母は多分に持っていたろうし、また、政治や実業などに関係ある生活をしてた父は、文学なんかより法律などを私にやらせたかったに違いない。それなのに、父母と私とは、未来の抱負とか目的とか生活とか、そんなことに就て真面目に語り合ったことがなく、凡てはただ一二言で片付いてしまって、私は自分の思う通りに進んでき、父母はそれを黙って許してくれた。
 中学を卒業して東京に出てくる時、または、大学を卒えて東京に定住する時、父母と私とは、故郷の清らかな河原なんかに、夕凉みのそぞろ歩きをすることもあった。そんな時、夕映の空や河原の野花などを眺めながら、父母は私の今後の生活について話したかったろうし、私も自分の志望や目的などについて話したかったが、然しただ一二
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