も、何か或る一閃の光がなければ死ねるものではない。だから、自殺出来るものは、その実践に移る瞬間、幸福であるとも云える。
 自殺も出来なかった不幸な父は、自殺の覚悟を最も固めている時に限って、庭の草木や石をいじりまわしていた。二十坪ばかりの取るに足らない庭だったが、数個の石と、数本の樹木と、小さな花壇があった。父はその庭石を据えなおし、椿の枝を鋏み、木斛の虫をとり、楓の枯葉をはらい、草花に肥料をやった。縁側に腰掛けて煙草を吸いながら、首を傾げてじっとうち眺め、また立っていっては働いた。それは実に丹念な庭師だった。
 借家の狭い庭の、草や木や石だ。自殺しようという者にとって、そんなものが何になるのか。然しながら、たとえ死にはしなかったとは云え、自殺まぎわに父がそれらのものに関心を持ってたことこそ、君が記憶していなければならないことだ。庭をうち眺め、君の方をふり向いて、木の葉や草の芽を視線で君に指し示した父の顔付を、君は覚えているだろう。それとも、黙りこくってる陰鬱な顔しか君の頭には残っていないかしら。

 正夫よ、君の父は、君の母の死後、随分放蕩をしたようだが、そのうちに、ほんとうに女と愛
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