表現論随筆
豊島与志雄

 私達六七人の男女が、或る夏、泳げるのも泳げないのもいっしょになって、遠浅の海で遊んでいた。
 一面に日の光が渦巻いていた。空は大きな目玉のようにきらきら光っており、海は柔かな頬辺のようににたにた笑っており、青い松林をのせた白い砂浜が、ゆるやかな曲線を描いて、その海と空と私達とを抱いていた。
 人間的な親しい放心のなかに、動物的な遊戯心が踊りはねる。泳げる者の手につかまって、泳げない者がばちゃばちゃやってたのが、いつのまにか遊びにかわって、両手にすくった水をぱっと、相手の頭から浴せてしまった。
「あら、ひとの眼に……。」
 頓狂な声を立てたのは若い女である。
 でも、眼には僅か二三滴の水に過ぎない。頭から顔全体へかけてざぶりと浴せられた、その何百分の一かに過ぎない。それでも彼女にとっては、その何百分の一だけが、最も直接の感じであったろう。
 これを客観的に云い現わすならば、彼女は頭から顔へかけて一杯水を浴せられた。それを彼女自身は主観的に、「あら、ひとの眼に……。」
 客観的表現と主観的表現とは、そういうところに截然と区別せらるる。文学上のむずかしい理論を俟つ
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