して右手を腰の後ろにやっていた。その右手に、瀬戸の重い灰皿を握りしめていた。私はその手首を捉えた。灰皿はすぐ彼の手を離れて私の手に移った。その時には、山口はもう数歩押しやられていた。そして山口はちょっとよろめき、表へ出て行った。
 洋介は元の席へ戻ってきたが、眉をしかめて黙っていた。大田が出て来て、殆んど[#「殆んど」は底本では「殆んで」]無表情の顔で言った。
「ビール一本、損しちゃいましたよ。」
 洋介も殆んど無表情で言った。
「あいつ、探偵気取りでいやがる。」
 それだけのことであった。然し、そのことは、洋介の隠れた一面を私達に啓示してくれたのである。
 その時のことを、もう洋介は忘れてしまったかのように、ぼんやり微笑んでいた。
 高石老人は詮索しなかった。
「それでは喧嘩にもならん。だが、君もあまり飲んでばかりいないで、研究所の方にも身を入れるんだな。」
 彼に反して、研究所の事務員として真剣に働きたいと言っている者があるのを、高石老人は打ち明けた。――魚住千枝子のことだった。今迄はただ、室の掃除や図書の整頓だけをしていたが、今後は、ほんとの事務員として働きたい。カードの整理をし
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