、旦那さまもおかしいし、先生とも呼べなかった。仕方なしに、そこを省略する言い廻し方をしたが、第三者には往々、波多野さんと言った。
 気兼ねなくすらすらと出る「お坊ちゃま」を、彼女はお菊さんのところでも聞いた。
 お菊さんというのは、もと波多野邸にいた女中で、今では戸村直治の妻であった。彼等は空襲時に罹災して、一時は波多野邸に避難していたが、戸村はすぐ焼け跡に出かけてゆき、壕舎を作って、先ず自分一人そこに住み、地主に交渉して、可なりの地面を借り受けた。その素早いやり方を後で誉められると、彼は事もなげに笑った。
「なあに、ちょっと、骨惜しみをしなかっただけですよ、間もなく戦争はすむと、分っていたし、ほかに思案もありませんしね。」
 戦争がすむと、彼はそこに簡単な小屋を建てた。持ち金の殆んど全部を注ぎ込み、屋根瓦などは焼け跡から自分で拾い集めた。その六畳と四畳半と二畳の家に、妻と二人の子供とを引き取り、広い耕地を拵えた。そして午前中は耕作、午後から夜にかけては「五郎」へ出かけた。
 この戸村のところへ行くのが、魚住千枝子には楽しみだった。一升ばかりの米がはいってる袋をぶらさげて行き、袋一杯に
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