引いて透明になった。がすぐに、その頬を赤らめて、彼女は洋介のところへ行った。
「あの……小母さまが、呼んでいらっしゃいます。」
洋介は碁盤から眼を挙げて、彼女を見つめた。なにかふしぎなものをでも見るようで、そして少し長すぎた。それから答えた。
「ええ、すぐ行きます。」
高石老人は、ウイスキーのグラスを取り上げて、千枝子に言った。
「今あんたを、研究所の事務員として披露してたところだ。」
千枝子はもう平然として静かな笑みを顔に浮かべた。
洋介は黙って出て行った。
房江は寝間着の上に丹前をひっかけて、寝床のそばに引きよせた机にもたれていた。洋介がはいってゆくと、そのはれぼったいような瞼を静かに持ち上げた。睫毛が白っぽい感じに見えた。
「いかがですか。」と洋介は言った。「横になっていらっしゃらなければいけませんよ。」
「いえ、もう殆んど宜しいんですけれど……。」
彼女は何か考えてるようだった。洋介は待った。
房江は遠慮ぶかそうに話した。――皆さんに食事を出すつもりでいるが、ごくつまらないものしか出来そうにない。急なことだし、いつも世話になってる野崎さんに頼むわけにもゆかない。千枝子と二人であれこれ相談していると、千枝子がふいに言い出した。自分にたくさん月給をくれるのなら、うまい御馳走を作ってあげるのだが、どうせお粗末な月給だろうから、お粗末なものでよかろうと、笑っている。それで房江はびっくりした。事務員として真面目に研究所の仕事をすることになったとは、聞いていたが、月給のことは、まだ聞いていなかった。而も、千枝子の方から高石さんに頼んだとのこと。そうなってくると、これは家の体面にかかわる。家族同様にしている千枝子が、僅かのことに月給を請求するなどとは波多野家の恥ではあるまいか。それが事実かどうか、高石さんに確かめてほしいし、事実なら取り消して貰いたい。千枝子はただ、心配なことはないとばかり言って、さっぱり要領を得ないとのことだった。
洋介はその話に興味なさそうに言った。
「それはもうきまってることですよ。そして家の恥でもなんでもないことですよ。」
「わたしには分りません。」と房江は彼の象を見つめた。
洋介は暫く黙っていたが、突然激しい調子で言った。――それでは、家の生活はいったいどうしているのか。地所を売った封鎖の金を内密に現金に代えたり、野崎さんに物乞
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