た。
「でも、あのひと、好かれるたちね。山口さんは、ひところ、だいぶ熱心のようでしたし、佐竹さんも、好意を持っていらっしゃるようですよ。」
「だから、私もそうだというんですか。」
 房江は頭を振って微笑んだ。
 吉村も微笑んだ。
「あのひとは、なんだか気の毒ですね。顔も綺麗な方だし、頭もよい方だから、一応はまあ誰にでも好かれるでしょうが……単にそれだけですね。」
「それだけ……ですって。」
「つまり、恋人にも、また妻にも、ふさわしくないところがありますよ。」
「どんなとこなんでしょう。」
「恋人としては、顔の表情があまりきっぱりしすぎていますし、妻としては、手があまり美しすぎますよ。」
「そんなことが、邪魔になるでしょうか。」
「なりますよ。一応は好きになっても、それから先が躊躇される……つまり、後味がわるそうだというのでしょうか。」
「まあ、後味が……。」
「そういう女が、それも、普通の婚期をすぎた女に、ずいぶんありますね。」
「でも、それは、男の方が卑怯だからではないでしょうか。」
「何がです。後味のことですか。」
「ええ、怖いんでしょう。」
「そうですね、後味がわるいというより、怖いと言ってもいいですね。」
「それで、あなたも、千枝子さんが怖かったんですの。」
「私が言ってるのは、ただ、一般的なことですよ。」
「一般的だけでしょうか……。」
「そうじゃありませんか。そうでなけりゃあ、こんなこと言いませんよ。」
 吉村はそれきり口を噤んだ。なにか淋しいものに突き当ったようだった――千枝子は、房江には家族同様な者であり、吉村にはまあ文学上の弟子だった。その千枝子のことを冷淡に、二人の甘えた情愛の餌食にしていたのである。それだけの自意識が、吉村の胸に来た。
「こんな話、もう止めましょう。」
 吉村は立ち上って、室の中を歩き、それから房江の肩にもたれかかって、彼女の体温のなかに顔を埋めた。
「私はあなたに、もっともっと甘えたい。甘えさして下さい。」
 房江は彼の頭を抱いて言った。
「わたしも……。」
 ぬるま湯のような静かな時間がたった。二人は更にも少し酒を飲み、簡単な食事をすまして、その家を出た。曇り空の薄ら日で、風もなかった。生籬や木立の多い道を、省線電車の方へ歩いた。
 その時、歩きながら、房江ははじめて、今までなんとなく言えなかったこと、洋介のことを話した。―
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