から、女の足先の方まで辿りつき、また暫く嗅ぎまわり、それから草の中にぐったり顔を伏せてしまった。
それだけのことを、俺は正午すぎに見た。夕方、ふと気にかかるので行ってみると、もう女も仔猫もいず、坂は薄ら寒く暮れかけていた。地下室を囲った古板が、暮色よりも一層黒ずんで見えた。
その古板に、あの時は三日月の淡い光りがさしていた。あの女とただ一度のキスをした晩のことだ。
屋台店でアルコール焼酎を飲んで、少しく酔って、帰りかけると、電車から降りてきた彼女に逢った。映画を見に行った帰りだというようなことから、話をするともなく、連れ立つともなく、いっしょに歩いた。果物類の雑貨を商ってる店の娘だ。実の娘ではなく、田舎の親戚から手伝いに来てる者で、年はだいぶ取ってるらしい。
女の方から先に立って、事もなげに猫捨坂へ向うのである。二人だから怖くないと思ってるのであろうか。俺の方は勿論怖くなんかない。風のある温い晩だった。
坂の敷石は、二人並んでは歩けない。女は先に立って下り始めた。足元が薄暗くて危なっかしい。大した風でもないが、椎の木の茂みにさーっと音を立てる。
坂の中途まで行った時、坂下の
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