かで虫の声がしてる静かな夜だ。五分間ばかりたった頃、母はつぶっていた眼を開いた。
「こんどの薬、よく効くねえ。もうなおったよ。」
そんなに早く効く筈はないと思われたが、姉も私も黙っていた。果してまた疼痛が来た。母は呻り始めた。その声が、やがて、次第に細くなり、消えてしまった。睡ったのであろうか。
いつのまにか、母はぱっちり眼を開いて、俺の方へ瞳を据えていた。見ているという風はなく、全く無関心な眼差しだ。俺は何のたじろぎもなく、じっと見返した。母の眼は、意力も気力もないばかりか、死物のようだった。紗の覆いをした電球の光りが、ぼーっとかすんで、蚊やりの煙が一面に立ちこめてるかと思われた。その朦朧たる中で、母の眼は瞬きもせず俺の方に据えられている。ただ据えられてるだけで、何も見てはいない。眼玉にももう生気はなく、眼玉そのものまで溶けて無くなり、ただぽかっと眼※[#「穴かんむり/果」、第3水準1−89−51]だけが口を開いている。あの地下室の髑髏の眼※[#「穴かんむり/果」、第3水準1−89−51]だ。それがじっと俺の方に向いている。
「早く行け、早く行け。」
声が蘇ってくる。あの地下室
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