2−92−25]が心地よく細っていて、額が広かった。少し離れてみると、顔の上半分に遊惰と低能との趣きがあり、下半分に女好きのする魅力が漂っていた。いつも毛皮の襟のついた二重まわしを着て焦茶のソフトを被っていた。ステッキは持っていなかった(私はいつもステッキをもっていた)。後に知ったことであるが、頭髪は角刈りにしていた(私は髪を伸していた)。
何でもごく屡々、私達はS――駅で一緒になった。歩廊に立ちながら電車を待っていると、よく困ることもあった。私が煙草を吸っていると、彼は黙って私の方へ寄って来て、意味ありげに私の姿を見ながら眼で微笑んだ。薄暗い中に私が口に吸った煙草の火の光りで、その眼付がちらと見えた。私も何ということなしに眼で微笑み返した。然しその時はもう互の顔は薄暗かった。待合所の中の電灯はただぼんやりした明るみを歩廊の上に送ってるきりだった。私はむやみにすぱすぱ煙草を吹かした。彼は向うへ行ったり来たりした。互に何か話しかけたい思いをしながら、その機会がなかった。もしどちらからか煙草の火でも借りようとすれば、容易にその機会は掴めるのだったが、どういうものか二人共それは忘れていた。
妙にむず痒いような気持ちを私は彼に対して覚えた。薄暗い駅内と明るい車室と寂しい夜更けの街路とを背景にするその「知り合いの他人」との出会には、何だか不思議なものが籠っていた。彼に逢わない時は妙にもの足りなかったが、逢えばまた自分の心の置場に困った。平気で言葉をかけてはいけないものだろうか? 然しそれがどうしても出来なかった。「吾々はいつも馬鹿げた遠慮を持ち合してるものだ」とも考えた。
或る寒い夜だった。私はいつもの通り坂口の家から十二時を打つと間もなく出て来た。深い靄がかけていた。街灯の光りがぼやけて、物の輪廓が朧ろになっていた。そのくせ空を仰ぐと星の光りが冴えて冷たかった。改札口をはいって階段を下りてくると、私は其処らをぐるりと見廻した。歩廊の柱の影に彼がぼんやり立っていた。私は何のこともなく安心を覚えた。彼も私の方をじろりと眺めたが、それから何と思ってか急にあちらこちら歩き出した。
七八人の乗客が電車を待っていた。電車は中々来なかった。待合所の中に両袖を前に畳み合して腰掛けていた婆さんが、時々外に出て来て線路の上を遠く見渡したが、何やらぶつぶつ口の中でいい乍らまた元の席へ帰っていった。婆さんが三度目にそうした時、私のと反対の電車が来た。婆さんはそれに乗った。三人ばかりの他の客もそれに乗った。そして三四人の者が後に取り残された。急に寒くなったような気がした。待合所の中へはいって火鉢の中を覗くと、消えかかった白い炭が灰の中からかき出されたまま転っていた。足の先をかざしてみたが、少しも暖くなかった。私は壁に掛ってる時間表や地図や広告のビラなどを眺めたり、片隅に置いてある肥料の切れたらしい鉢植の菊を嗅いでみたりした。その間かの男は歩廊の縁を行ったり来たりしていた。待合所の硝子の窓越しにその姿を見ていると、私もその真似がしてみたくなった。で外に出て、歩廊の反対の縁を歩いてみた。一歩ふみ外せば、三尺ばかりの低い線路だ。黒ずんだ枕木と砂利との上を、二条のレールが走って金属性の冷たい青白い光りに輝いていた。そして電灯の光りが透さない遠い闇の中に、吸われるように消えていた。
どうしたのか電車はいつまでも来なかった。反対の電車がも一つ通りすぎても来なかった。乗客は六七人になった。皆待ちあぐんでいた。何か故障があったのではないか、人でも轢いたんではないかしら? 私は不安になって来た。
その時重い響が遠くに聞えるような気がした。私は初めてほっとして上野行きの電車が来る線路の縁の方へ行った。他の者も其処に集った。然し電車は来なかった。重い響きは、線路の向うを渡してある橋の上を荷車が通るのであった。馬鹿に大きな荷を積んだ車を、前と後とに二人の男がついて挽いていた。小さな提灯が一つ車の横についていた。それが靄の中に浮出した向うの高い橋の上をゆるゆると通って行った。ただその響きだけが馬鹿に近くに響いていた。
荷車が橋を通りすぎて見えなくなり、その響きも聞えなくなると、急にあたりがひっそりしてしまった。寒気がぞくぞくと背中に上って来た。乗客は皆一つ所に集ったまま立っていた。学生らしい青年が二人、大きい風呂敷包みを持った女が一人、コートを着て襟巻の中に顔を埋めてる女が一人、背広の上衣だけを引かけて紺の股引にゲートルに靴という妙な風采の男が一人、それに私と彼とだった。やがて洋服の会社員らしい男が一人加わった。それだけの者が、歩廊の柱の影に立っていた。そして次第に一つ所にかたまっていった。群から離れると非常に寒そうに思えた。特に女が二人居ることがその小さな群を妙に温くし
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