てるようであった。暗がりと寒気との中で女というものが如何に温い感じを与えるかを、私は初めて知った。そして私は、そのコートの女に対して馬鹿馬鹿しいロマンチックな空想をさえ懐いた。襟巻の中に半ば埋った女の白い横顔にちらと視線を投げて、そのまま眼を落すと、前には冷たい線路が構わっていた。私はぞっと首をすくめて、あたりを顧みると、かの男がすぐ側に立っていた。私達は思わず顔を見合った。余り近くに居たので私は喫驚した。彼も喫驚したらしかった。その意味がはっきり互に通じ合った。二人共苦笑をした。そしていい合したようにつと群を離れて歩き出した。
「馬鹿に寒いですね。」と彼が云った。
「馬鹿に来ませんね。」と私が云った。
 両方の言葉が殆んどかち合う位に一緒に出た。私達は互に向うの言葉に答えるために顔を上げて微笑をした。すると私達はもう他人ではなく、前からの知人になってしまった。
 二人は並んで歩廊の上を歩き出した。
「いつも何処へ行かれるんです。」と彼は尋ねた。
「友人の家へ碁を打ちに行くんです。笊碁ですがね。」
「ははあ、やはり君も高等遊民の類ですね。」
 私は一寸返答に迷った。
「僕もやはりそうですよ。」と彼は続けて云った。「此度こちらに知った者が球突屋を初めましてね、前から知り合いのお上さんで気が置けないものだから、わざわざこうして出かけて来るんです。近くの球屋だと知った顔ばかりで面白くないし、それにいろいろ面倒ですからね。こちらの方が場所も珍らしいし、球も羅紗も新らしいし、場末情緒といったようなものも可なり面白いものですしね。」
「そしてまた新らしいフラウでも……。」
「いや君そう短刀直入に来られてはどうも……。」
「然し随分御熱心のようだから。」
「そういえば君も随分熱心ではありませんか。」
「僕ですか、僕は退屈で仕方がないからまあ隙つぶしに来るようなわけですよ。」
「やはり君もそうですか。僕も実は退屈してやって来るようなわけです。何をしてもさっぱり面白くありませんからね。」
 そんなことを話してるうちに電車がやって来た。なんでも三十分余も待たされたらしかった。
 車内はこんでいた。で私達は別々に離れなければならなかった。
 上野で下りた時、私達はまた一緒になった。そしてぶらぶら広小路の方へ歩いて行った。
「一寸何処かでお茶でも飲みましょうか。」と彼は云った。
 もう夜店もしまわれていたし、何処も起きてる家はなかった。幸い其処の角にあるカフェーの表が開いていたので、その中にはいった。二階の室で四五人の客が大声に何か話し合ってるのが聞えたので私達は安心してゆっくり卓子につくことが出来た。そして麦酒をのみ、料理を食って、後にはウイスキーのコップまで据えさした。
 私達は純白のテーブルクロースの上に両肱をついて、互にまじまじと顔を見合った。
「お互に名前も知らないでは変ですから、一つ名乗りをしようじゃありませんか。」そう私はいった。空腹だったので、いくらかもう酔っていた。
「やあ、すっかり名乗りを忘れていましたね。」と彼も云った。
 向うに居た給仕女《ウェートレス》が変な顔をして私達の方を眺めた。
 彼は村瀬という姓だった。私も自分の名前を知らした。
「ええ松本君だって、聞いたような名前ですね。」そう云って彼は濃い眉根を寄せて考えていたが、「あそう。君ではないですか、そら、梅吉といっていた妓の何は……。」
 私は驚いて彼の顔を見守った。
「やあ、やはりそうですね。君のことなら聞いたことがありますよ。君達のことをひどく心配していた小さいのを私もちょいと知っていましたから。」
「へえ、君もよくあの辺に行くんですか。」
「いやこの頃は面白くないからさっぱり行きません。体よく振られたような形になって無情を感じたわけですよ。」
「そして私のように、S――まで都落ちですか。」
「ははは、都落ちとはうまく云ったものですね。」
 そして私達はまた麦酒のコップを挙げた。
 そのカフェーを出たのは一時すぎだった。私は彼に別れて、淋しい池のふちを通って自分の家に帰った。
 私はその晩の出来事が妙に嬉しくなった。ふいに一人の知己を得たような気がした。「なぜもっと早くあの男に話しかけなかったろう。」そう思うとまた急に彼に逢いたくなった。そして、少し危ぶみながらも彼に逢えるかと思って、その翌晩また坂口を訪れ、十二時が打つといい加減に碁の勝負をきり上げて停車場へ帰ってきた。
 私が階段を下りてゆくと、「やあ!」と云って声をかける者があった。村瀬だった。
「僕は君が屹度今晩も来ると思って待っていたんです。」と彼は云った。「お蔭で電車を一つやり過してしまった。」
「そうですか。僕も君が来るような気がしたので、わざわざ出かけて来たんです。」
 私達はまた歩廊の上を並んで歩き
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