美春と老人とは頭を畳までさげた。秦と千枝子も礼をした。
神子はもう無表情な顔に返っていた。何事も起らなかったかのように、無言のまま香を焚き、少しく座をしざって、それからハンカチで額を拭いた。汗を出してるようだった。
童女が立ってゆき、彼女と共に、西浦夫妻がつつましくはいってきた。そして一同は席を近づけた。美春は眼を開く力もなさそうに閉じがちで、息もひそめてるかのようだった。そして待ち構えていたかのように、茶菓が出された。その一座の乱れの隙に、秦は辞し去った。
「五郎」の二階に戻ってきた秦は、なにか深く考えこんでいた。波多野と私はもうだいぶ酔っていたが、彼もその仲間に早く加わりたがってるかのように、ウイスキーのグラスを取りあげた。
彼は私たちの問いには答えず、妙なことを波多野に尋ねた。
「君は金を一包み届けたが、あれに、名前を書いたか。僕の名前を書いたか。」
波多野は眼を丸くした。
「照顕さまのことか。勿論、書かないよ。君の名前も書かないよ。」
「それはよかった。」
そして秦はたて続けに酒を飲んで、言った。
「あれは、結局、精神的なものでなく、神経的なものだ。神経にすぎない。そ
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