暗誦だった。経文は普通に使用される三部経のいずれでもなく、華厳経の一部だった。
童女は膝に手を置いて眼をつぶり、美春も老人も胸もとに合掌して眼を閉じていた。
秦は腹部に両手先を組んで、細目を開いていた。然し眼につくものは何もなく、先刻の如意が眼の底に残っていた。それは竹で拵えたもので、先端の雲形の代りに、小さな宝珠の群彫があった。恐らくは如意宝珠を意味したものであろうか。柄は短く、一尺ほどで、文字が彫りつけてあった。「随処作主、立処皆真」というその二句は、臨済録の真諦をなすものであって、それがへんに秦の心にかかった。彼はそこに思念を向けて、そして眼をつぶりかけた。
その頃から、異変が起りかけた。美春がややもすれば腹匐いになりそうだった。合掌した手先を高く挙げると共に、上体を前に屈めて畳とすれすれになり、手先から腰へかけて、ゆるい蠕動をはじめた。神子はただ合掌して読経していたが、ちらと、美春の方を振り向いた。即時に、美春は普通の姿勢に返った。がやがて、美春はまた上体を屈めて、蠕動しはじめた。神子はちらと振り向いた。美春は元の姿勢に返った。それからまた、蠕動をはじめた。――それが幾度
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