曹新は一気にいってしまって、そっと崔之庚の顔色を窺いました。崔之庚はただうなずきながら、やはり温和な柔い態度をしていました。
「ああ、それはよいことだ。」と彼は答えました。「どちらも、お前の気の向くようにするがよかろう。それから、わしについてもまた、なにかの碑を建てたくなるようなことが、近いうちに起るかも知れないよ。」
「それは、どういう意味ですか。」
「お前にも大体分ってると思うが、わしはもうすっかりあらゆる野心を捨てて、こういう生活をしている。徐和とは違った意味での隠遁だな。どうも吾々は、結局のところ、変なところへ突き当ってしまう癖があるらしい。ところが、そのために却って、危険な地位に立つこともあるらしいよ。」
 崔之庚は微笑を浮べて何気なく話していましたが、それが、曹新には大きな不安となって響きました。
「まあ話はいつでもゆっくり出来る。」と崔之庚はふいにいいました。「冷紅がみごとな贈物を貰ったお礼に、早速、老酒の古い甕を開けることにしよう。紹興の本場物だよ。」
 隅の卓子で古い絵本を繰っていた崔冷紅が、顔を挙げて、睨むような笑うような眼付を、崔之庚と曹新との方へ向けました。
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