かべて、じっと私の方に眼を注ぐのである。
 瞼に浮かぶそういう姉の姿を、今、眺めてみると、しみじみと胸にこたえるものがあって、なにか淋しく頼りないものに思われるのだ。主人は学者であるが、特別な著述もなくて貧しく、これから先、どういう風に暮してゆくのであろうか。病気にだって罹るかも知れない。久子という名前まで、なにか儚ない感じがする。彼女の存在が既に淋しく頼りないとすれば、子供だってそうだ。あの子の今日の弁当のお惣菜には、何がはいっていたのであろうか。
「田代君、なにをにやにやしてるんだい。」
 笠原がふいに声をかけたので、私はぴくりとした。次に、彼の言葉の意味が通じると、私は狼狽した。にやにやなんかしていなかったはずだ。人間の存在の頼りなさ、血のつながりの悲しさ、そういうことをしみじみ味わっていたのだ。それから、姉の子の弁当のお惣菜のこと。私の今日の弁当には、蒲鉾にすずめ焼がはいっており、それは昨夜の酒の肴の残りものではあるが、うまかった。もしも、そのささやかな一時の幸福について、無意識にも私が笑みを浮かべていたとすれば、何たることだろう。
 私は眉をしかめて振り向いた。そして、こんど
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