いらっしゃい。今晩、遅いのね。」
みさ子はにこりともしないが、声の調子は愛想がいい。
「やあ、しばらく。」
「あら、しばらくだって……もう酔ってらっしゃるの。」
考えてみると、一昨日も、その前日も、ちょっと寄ったのだった。だが、どうも、しばらくというのが実感なのだ。すべてのことが、遠くにあるように思われた。みさ子だって、さよ子だって、遠くに見える。憂鬱とは、自分と外界とを距てる霧だ。
みさ子は相変らず、そうだ、一昨日と相変らず、鼻の高い細長い顔で、睫毛の影の濃い眼眸をして、背が高く痩せている。戦争未亡人でこの家の中年のお上さんの片腕となっている。笑顔はあまり見せないが、声は調子がいい。客たちからはみさ子さんと呼ばれる。紫を主調にした縞模様の着物だ。
さよ子は相変らず、丸い顔で、よく肥っていて、いつもにこにこしている。少し近眼らしい眼眸だが、眼鏡はかけていない。戦争中、埼玉県下から徴用女工として東京に出て来て、そのまま居ついて女給になったのである。客たちからはさよちゃんと呼ばれる。赤を主調にした花模様の着物だ。
彼女たちを珍しく見るような気持で眺めながら、私はコップの酒をすすっ
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