中にも、ふと恐ろしい気がして、其処を逃げ出すことがあった。その恐ろしさが静まると、自分が自分でないような妙にぼんやりした心地になった。そして彼は空虚な心で、縋るように保子の幻を描きだした。
保子からは、向うに到着の葉書が一本来たきり、何の便りもなかった。彼は益々胸苦しい気分になっていった。
「井上さん、」と女中は云った、「何を毎日ぼんやり考え込んでいらっしゃるの。少し散歩にでもお出かけなさいな。身体に毒ですよ。」
「家にじっとしてる方が涼しくていい。」と周平は答えた。
「あなたは実際変っていますよ。一日誰とも口を利《き》かないでよく淋しくありませんね。……奥様もそう云っていらっしゃいましたわ。井上さんは気が向くとよく饒舌るけれど、気が向かないと黙り込んでばかりいるって。そりゃ誰だって、口を利きたくない時もありますけれど、あなたみたいに、幾日も黙っていられる方は珍らしいですよ。」
「横田さんだって随分無口の方じゃないか。」
「でもあなたほどじゃありませんよ。……奥様と喧嘩なすった時は別だけれど。」
「え、横田さんが奥さんと喧嘩なさることがあるのかい。」
「あるってほどじゃありませんわ。
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