務を尽すと、周平は残りの時間を利用してやろうという気も起さないで、疊の上にごろりと横たわった。室の窓から夾竹桃の梢越しに、狭い空が見えていた。雲の影も鳥の姿も宿さない静かな空だった。じっと眺めていると眼が疲れてきた。瞬きをして顔を横向けた。隆吉はやはり机の前に坐りながら、ぼんやり書物に眼を落していた。心では他のことを考えてるらしかった。それも、怠惰からではなくて、怜悧な頭の余裕からであった。どんなことを考えてるのだろう? そう思うと小憎らしくなった。
 隆吉は彼の顔をちらと見て、心持ち身体を押し進めてきた。
「井上さん、僕お父さんの夢を見たよ。」
「え、どんな夢?」と周平は云った。
「お父さんが宙に飛んでたの、真直に飛んでた。」
「それから?」
「それきり覚えていない。」
 周平はその眼をじっと見入った。そして云った。
「本当?」
 隆吉は眼をくるりと動かした。口を尖らし小鼻を脹らまして、泣き出しそうな顔をした。
「井上さんはいつでも、僕の云うことをなぜ嘘だと思うの。」
「嘘だと思ってやしない。」と周平は答えた。
「だって……。僕は嘘をついたことは一度もないんだのに……。」
「だから嘘
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