なら、すっかり云って下さい。気持にこだわりが残るのは一番厭ですから。」
 保子は黙っていた。美しい眉根を心もち上げて、眼をぱっちり見開いていた。周平は、その眼が自分の心に向けられてるのを感じた。彼はまた云った。
「何かいけないことがあったら云って下さい。私は奥さんから云われることなら本当の心で受けられる気がします。出来るだけ自分で自分を直したいんです。」
「じゃ何か困ることでもあるの。」
「え、私に?」
「ええ。」
「いいえ、何もありません。」と周平は答えた。
「それでは何か聞いたんでしょう。」
「いいえ。」と周平は答えた。
「では何か仕出来したの。」
「いいえ。」
「そんなら、何か気にかかることがあるのね。」
「いいえ。」と周平は答えた。
「おかしいわね。困ることも聞いたことも仕出来したことも気にかかることもないのなら、何もないじゃないの。嘘よ。何かあるんでしょう。隠さずに仰しゃいよ。」
 周平は惘然とした。いつのまにか問う方が問われる形になっていた。彼はそれを元に戻そうとあせった。そして言葉を探してるうちに、保子から先を越されてしまった。
「あなたはまだいやに隠し立てをするのね。何
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