もねえ、」と保子はやはり前の調子で云い続けた、「もし不自由なことがあったら、いつでも仰しゃいよ。隆吉のことをお願いしたのだって、ただであなたを補助するのも悪いから、ほんの名目だけだと、横田もそういうつもりですから。……一体あなたは、余り遠慮深すぎていけないわ。これから、すっかり明けっ放しで、遠慮なしにしましょうよ、ねえ」
 しみじみとした感傷に囚われようとするのを、周平はじっと堪《こら》えた。顔を上げると、保子の清い露《あらわ》な眼はちらと瞬いて、長い睫毛の奥に潜んでしまった。彼は一寸心の置き場に迷って、前にあった珈琲椀を取り上げた。何だか黙って居れなかった。
「さんざん小言《こごと》を云っといて、珈琲一杯ではひどいですね。」
「だからお土産《みやげ》をつけてあげるわ。」
 保子は帯の間から、紙に包んだものを取出した。周平は一寸躊躇したが、彼女の笑顔に促されて、黙ってそれを受取った。そしてすぐ立ち上った。
「落さないようになさいよ。」
 無雑作に懐へねじ込むのを見て、保子からそう注意された言葉を、彼は上の空で聞き流して、外に出た。
 空は晴れていた。西に傾いた晩春の陽《ひ》が、咽っぽい
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