二十五

 周平は横田の家の前を二三度往き来して、それから意を決してはいって行った。玄関に出て来た女中の後について、座敷へ通った。
「井上さんがいらっしゃいました。」
 そう保子へ告げてる女中の後ろに、彼はぼんやりつっ立っていた。保子はその姿を見ると、丁寧だといえる位に挨拶をした。
「いらっしゃい。」
 周平は一寸狼狽した。が次の瞬間には、強い調子の言葉を浴せかけられていた。
「井上さん、どうしたの? 用がなければそれっきりとは、随分ひどいわよ。私あなたが来たら、うんと小言《こごと》を云ってやろうと思ってたのよ。」
 然しその眼はやさしい色を浮べて、彼を抱き取っていた。彼は変にちぐはぐな気持で、其処へ坐りながら云った。
「一寸忙しい用があったものですから……。」
「君にだって忙しいことがあるのかい?」と庭の方から声がした。
 横田が庭の中に屈んで、水を半分ばかり張った大きな空の蓮鉢を眺めていた。周平はかすかな驚きを覚えた。それを自ら押し隠して云った。
「もうお帰りなすったんですか。」
「ああ二三日前に。」と横田は答えた。それから急に調子を変えた。「留守中はいろいろ有難う。
前へ 次へ
全293ページ中150ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング